Communication House  『サクイエ』

親子関係・夫婦関係 <ほんもの家族>

プロフィール

松咲紀子のプロフィール


コミュニケーション専門家。
親子関係、夫婦関係で起こる問題を解決するワークを提供。
快適なコミュニケーションを築き、自分らしくイキイキと自分の道を生きる女性をサポート。
心理療法に波動療法をプラスした現代にマッチした実践的なワークが特徴。
2024年に、初めて執筆した家族のコミュニケーションについて、実体験から得た気づきをまとめた書籍を出版。

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STORY

母親が機嫌よくいるために頑張った!


私が幼い頃、両親は子供の寝た後に毎晩ケンカしていました。母のキンキンした声を聴くのが耐えられず、眠れないで布団にくるまっていたことをよく覚えています。 私は二人がケンカしないためには、母親が機嫌よくいられることだと信じて、一生懸命に母の気に入る行動をしていました。 母から勧められて10歳の時に始めた習い事は、自分にピッタリで夢中になったのですが、12歳の時に急に辞めさせられました。母が喜ぶと思って頑張っていたのに、裏切られたと思い、傷つき、これ以上何をすればいいのかわからなくなってしまいました。

ダメなのは自分、母のことは諦めるしかない


その後、母親とまったくコミュニケーションをとれない中高校時代。 全てに意欲を失い、何もやる気になれない。 これは自分がダメな子だからだと劣等感の塊でした。 友達もできず孤独で学校も嫌い、勉強もやる気になれず、留年しないように出席日数を計算して学校をサボっていました。 暗闇の青春時代。 死がよぎり、どうやったら楽に死ねるのか、と考えたりしました。
高校を卒業してからは母親から離れて、母とコミュニケーションをとることは、すっかり諦めてしまいました。 20代のころは自分に合った生き方を模索しながら、いろんなことをやってみては止めて、の繰り返しでした。

子育てでよみがえる子ども時代の悪夢


32歳で結婚し、5年後に育児のために家庭に入りました。 初めての赤ちゃんはとてもかわいくて、この子とは良い関係でいたいと心から願っていました。 ところが、息子が2歳のイヤイヤ期、出かけるたびに道路にひっくり返る子を前にどうしていいかわからず混乱しました。 自分と母との関係のようには絶対になりたくない! 自分の苦しかった思春期がリアルによみがえりました。 そんなのは絶対に嫌だ! 夜中まで仕事して帰る夫に相談するも、私の気持ちはわかってもらえず、ケンカになるばかり。 何とかしたいと子育てセミナーに片っ端から参加し、いろいろな本を読みました。 その中で子どもの自立を育むコミュニケーション法を教えている講座を知り、すぐに受講しました。

言葉掛け次第で子どもが変わる!

その頃、2歳の息子は外遊びが大好きで、毎日公園に出かけていました。 遊び始めたら夕方になっても家に帰るのを嫌がり、ほんの10分程の公園から家に帰るのに1時間もかかるような日々。 私はホトホトくたびれていました。 ある日、遊び始めてしばらくしたところで、黒い雲が広がってきました。 夕立が来る! 雨具の準備もなく、すぐに帰らなければと思い、声を掛けましたが、まだ遊び始めたばかりで帰るわけがありません。 そこで私はコミュニケーション講座で習ったばかりの方法で言ってみました。
私 「雨が降りそうだから、ママは家に帰りたいの。」
子 「イヤだ! もっと!(遊ぶ)」、砂場で遊び続けます。
私 「雨が降っても、ママは傘持ってないから濡れちゃうでしょ。 ママ、ビショビショになるのはイヤなのよ」
息子は私の目の前に来て、私をジッと見て、
子 「ボウヒ! ボウヒ!」
と言って、私の頭に自分の被っていた帽子を乗せてくれたのです。
私 「え! ママに帽子貸してくれるの?」
子 「うん」 (スタスタ公園を出て家に向かう)

これまで公園から家まで引きずって帰っていたのが噓のようでした。
その頃、まだ言葉もよく話していなかった子どもが、状況を理解し、私が濡れないように考えてくれたのです。 親が言葉掛けの方法を変えただけで、子どもは思いやりを示し、さらに自分の意志で帰ることを選択しました。 2歳の子が本当にスタスタ歩いたかどうか、今考えると怪しいものですが、その後ろ姿は自信に満ちているように私には見えました。
「これが本来のこの子だ」
親を困らせてばかりの子どもにしているのは、適切な言葉掛けをしていない親のやり方のせいだと実感しました。

最悪の夫婦関係の中で病気発症

夫が大きなストレスを抱えて退職しました。 昔からお酒好きでこの頃にはアルコール依存の傾向も強くなっていました。 幼い息子を抱えながら、保健所や病院に相談するも、話し合いができず、ケンカになるばかり。 夫婦関係最悪の状態でした。 こんな家庭環境を誰にも察せられないように、外では毎日明るく元気にふるまっていました。 表面の行動と心の中のギャップがどんどん大きくなっていました。 そんな状況の中、息子が気管支喘息を発症し、夜中に何度も病院に駆け込み、救急車を呼んだこともありました。 そして私も咳喘息を発症。大人になってからかかる喘息と言われ、度々咳き込み苦しみました。

心を隠す「ニセモノ家族」

夫は自分の母親との関係に問題を持ったまま、一家揃って実家に行き良い顔を見せる。 一方で相当なストレスをためては電話で声を荒げることもあり、子どもが怖がる。 私は自分の母親との関係に問題を持ったまま、一家揃って実家に行き良い顔を見せる。 一方で相当なストレスをためては電話で声を荒げることもあり、子どもが怖がる。
つまり、夫婦そろって心を隠し「ニセモノ家族」をつくっていたのです。
そんな状況の中、子どもとの関係だけは良好にしたくて、コミュニケーション法を学び続けました。 学んでも日常で生かせなければ何にもなりません。 私は毎日毎日実践しました。 うまくいったり、失敗したりの繰り返しでしたが、私は息子を通して、親として育てられているのを感じました。

コミュニケーションには方法がある

適切な方法を使わないことで、すれ違いがたくさん起こることが次々にわかりました。 親は自分の気持ちに正直に、素直に伝える。 親の言葉を聞いて、子どもは自分で考える。 その経験で子どもは判断力や、想像力を持ち、人を思いやりながら自分の行動を決められるように成長していきます。 また、子ども自身が悩んだり困ったりしている時には、親が心から聴くことにも方法があります。 コミュニケーションの方法は、学校でも教わりません。 私と母の大きなすれ違いが起こったのは、母が方法を知らないまま子育てしたからなのだ、と理解しました。
それからはコミュニケーション法を学び実践するのが、私の子育てになりました。 そして子どもが小学生になり、私は家族のコミュニケーションをよりよくするための講座やセッションを開始しました。 コミュニケーション法を伝えながら、自分自身が日常で実践し続けるためにです。 おかげで息子とは心が通じ、父親に話せないことも母親には話せる仲になっていました。 多くの子育て中の親御さんと出会い、子どもとの良好な関係を築いていくことに関わることで、私自身が幸せを感じています。

身体を張った思春期の反逆

息子が12歳の時にそれまでの全てをひっくり返して親に反発しました。 昼夜逆転の生活、まったく話が通じない毎日。 私が母親とコミュニケーション取れなくなったきっかけが12歳の時。 同じことが起きたのか!? 混乱しました。 理由と対策を知りたくて、セミナーに通い詰めました。 自分と子どもの本質的な違いを学び、息子のタイプを徹底的に探求。 私との大きな違い、捉え方、ペース、こだわり、大事にするもの、怖れているもの、望んでいること・・・など。
私が子どもの頃には、子どもである私が親との関係を良くしようと努力していたのが、12歳の時の母の行動により壊れてしまった。 同様に、息子は私との関係を良くするために懸命に努力していたのだと、初めて気が付きました。 私がそこに気付かず傲慢になっていたために、息子は12歳で息が切れてしまったのだ、ということがわかりました。
セミナーに次々に参加し、息子を理解しよう、自分を理解しようと必死でした。 信頼できる人に個別に相談し、理解が深まるほどに、私自身がしてあげられることは何もない、と気付きました。 この子はいつか自分の力で起き上がる。 私がすることは子供に寄り添うことしかない。
「苦しいなら自分で動けるようになるまで寝ていていいよ」と、息子を全面的に受け入れました。
「このまま何年も学校に行かれなくても、起き上がれなくても大丈夫。 私はとことん付き合うから、ここにいるからね」 そして文字通りに、息子のベッドの脇に座りました。

受け入れたら奇跡が起こった!

しばらくして、布団がモソモソと動き出し、ヌーっと手と顔が出て、
「フヮー、良く寝たぁ」
と息子が伸びをしました。 これまでどんより曇っていた顔つきがスッキリ。 ここから急激に事態が動き出しました。 遅れを取り戻すように学校の準備をし、翌日から朝起きるようになったのです。
いったい何が起こったのか?!
私が息子を元気にしよう、この状態を変えようと必死になっていた時は、まったく変わらず、びくとも動かない。 でも息子全部をそのまま受け入れ、それを示したとたんに変化が起こりました。
私がしたことは、息子を理解して受容して、心から信頼したこと。
わかったことは、問題を起こしていたのは、親である私だったということ。  私の本当の問題は自分の人生の生き方にあったのです。 表向きの体裁だけを繕い、顔では笑い、心の中はいら立ちでいっぱい。 そんな嘘っぽい生き方に息子は「NO!」と言ってくれたのでした。 親の問題を子どもは身体を張って教えてくれる、と体験しました。
この反逆期間を経て、息子との関係は「ほんもの」になったと感じます。 息子が反発してくれなければ気づけなかったので今では、ありがたかったなぁ、と思います。

本当に困った時、助けてくれる人は必ず周りにいます。 自分の考えだけではすぐに行き詰ってしまいますが、問題をすでに乗り越えた人、豊富な知識を持っている人、進んで行く方向性を示してくれる人、学びを提供してくれる人、そういった人がピッタリのタイミングでサポートしてくれました。

母の介護ができるのか?!

実家の母親が家事をできなくなり、ほぼ横になっている生活になりました。 私は子どもの頃から持っている辛い思いのせいで、「介護なんてできない」と心の中で思っていました。 そんな時、親の介護を担ってくれるだろうと期待していた姉は、自分の夫が倒れて24時間介護が必要になり、頼れなくなってしまったのです。 月に一回掃除する程度の手伝いを始めましたが、関係はギクシャクしたままでした。
セミナーに通い、自己理解が進むと、母親との関係で自分に何が起きていたのか、問題の本質に気付き始めました。 親は、親なりに子どもを愛し、子どもは自分の望むように愛してほしいと願う。 愛の表し方、求めるものが違っていたのです。

親と自分の違いを理解する

私は母親を理解しようと学んでいましたが、必要なのはそこではありませんでした。 自分自身を理解することが私に必要なことでした。だんだん弱っていく母と今更対決することもできないので、私はただただ学び続けました。
家族関係をよりよくするためのワークショップを継続。 学びながら実践しながら活動するのが、私のやり方です。
ある日、実家に行くと在宅していた父に部屋に呼ばれました。 まったく突然に、私が12歳の時に母との間で起こった事件について、真相を語ってくれました。 初めて聞く話でした。 私が母に裏切られたと思っていたことには、家族の事情がありました。 父は「お前にはかわいそうなことをしたなぁ」と言ってくれました。 ようやく真実が明るみに出て、私は号泣し、納得しました。 母は当時、私を信頼したからこそ、私に我慢させる選択をしたのでしょう。
この父親の助けにより母親との関係課題が大きく前進したのは言うまでもありません。

植物エネルギーの助け

その直後から、縁あって「波動療法フラワーエッセンス」を学び始めました。 植物のエッセンス(本質)が人間のバランスの崩れたエネルギーに作用して、感情を癒し、心と身体を健康にする助けをするものです。 宇宙の真理、命の理由など本質的な学びが始まりました。 フラワーエッセンスでエネルギーのバランスが整うと、人生で体験してきたことがスルスルと意味のあるものにつながっていきました。 これまで身に付けてきた知識が、身体の奥底でパチンパチンと本質とつながっていくのを感じました。 フラワーエッセンスの助けにより、母親との関係を完全に修復しました。 12歳で事件が起きてから、40年。 母親とまったくコミュニケーション取れなかった私が、この問題で母と対決することなく、愛にあふれるほんものの親子になったのです。
フラワーエッセンス・プラクティショナーとしてセッションを開始しました。 コミュニケーション法を学び、個人の性格タイプを理解し、さらに波動療法でエネルギーを整えていくことで、私の周りの方々の家族が幸せに変化しているのを実感しています。

真実を理解すると環境が変化

フラワーエッセンスの実践と学びのおかげで、自分が根本に持っていた怖れが「孤立」だと気づきました。 ワークに取り組み、私たちはエネルギーの存在で、宇宙とつながっているので孤立は起こりえないのだと、心の底から理解する体験をしました。 夫のアルコール依存は、私が解決しようとすると、夫のものである問題を取り上げてしまい、本人が解決できないのだと気づき、私は完全に手を引きました。 同時に息子が精神的に自立して、子育てが終了したことに気付きました。 夫とは子育てのパートナーであって、その後の人生の道は別々だということも見えてきました。 すると現実が大きく動き、自然に離婚の流れになりました。 私はびっくりしつつ現実を受け入れ、涙をたくさん流しながら、23年の夫婦生活の汚れや傷を全部洗い流したのです。

離婚後のことを父親に相談しようと思った一週間後に、父が急死しました。 慌ただしく葬儀を済ませてから、母と弟に離婚を報告したところ、父親の部屋が空いたのだから、そこに住めばいいと言ってくれました。 実家に戻ることなど考えていませんでした。 父は私に住むところを与えるために、身を引いてくれたのか! 私にはそうとしか思えなくて、親の愛を感じ、感謝で胸が震えました。
母親と同居し、本格的に介護が始まりました。 私が実家に戻ってから、母の様態は落ち着き、医師や看護師さんなどの予想に反して良い状態が続いています。 私は何のわだかまりもなく、介護に負担を感じることもありません。 むしろ喜びがあります。 母と娘の穏やかな時間を最期に持てていることに、感謝でいっぱいの毎日です。

予想を超える幸せな展開に

母との関係において、私は母と一度も対峙していません。 自身のワークだけを何度も行い、信頼できる人の助けを得ました。 全て自分の問題だったのです。 ひたすら自分に向き合い、自分で解決できることを確信しました。
自分の時は40年かかった親との関係修復を、息子の時は40日で解消できたのは、適切に助けを得られたからです。 私が行ったことは、コミュニケーションの方法を知り、人の気質を理解し、エネルギーのバランスを整えること。 素直に助けを求めると、手を差し伸べてくれる人に出会います。 そのおかげで、人生で本当に大切なことを知ることができ、自分軸で生きることにシフトできたのです。
また、離婚の直後に、本来のパートナーとのめぐり逢いがありました。 人生がこのように展開していくことに、自分自身が一番驚いています。

心を満たす「ほんもの家族」に

私の人生のテーマはコミュニケーションです
5つのコミュニケーションがあります。
①親との関係
②子どもとの関係
③パートナーとの関係
④自然との関係
⑤自分との関係(自分の内面の子どもとの関係)

これらの関係のうちの一つにでも、解決していない問題が残っていると、生きづらさを感じます。 全てがつながっていて、影響し合っているからです。そして、それが人生の課題です。 丁寧に向き合い、「家族関係」を「心を満たすほんものの家族」に育てていく。 熱い思いを持って行っている活動が24年目を迎えました。
どんなに困難に思える試練も自分で乗り越えていけます。 私はそれを知っているので、出会った人の持っている解決する力を信頼しています。 その能力を発揮できるように寄り添うことが、私の<カウンセリング、セッション、セミナー>です。

大きな特徴は、人生の問題を解決するための「心理療法」に加えて「自然療法」を生かしていること。エネルギーのバランスを調える「植物のエネルギーに宝石のエネルギーを加えたフラワーエッセンス!現代にマッチしたパワフルな波動療法」を取り入れることで、気づきと変容の深さとスピードが格段にアップしています!

自分の根本の問題である家族との関係は、この人生を幸せに生きるために大きな影響を与えます。
一番身近で重要なコミュニケーションの問題を解決すると、自由が広がります。 お互いに相手を尊重し、応援されながら、自分本来の道を歩き始めるでしょう。 そのように充実した人生を送る人たちで地球上がいっぱいになることを夢に描き、毎日ご相談に応じています。